- かどまで暮らす- 門真市のイメージキャラクター「ガラスケ」と「レンコン」

門真市HP より

 ガラスケは門真市の民話「おすまさんと笑い猫」から誕生しています。「ニャーニャー」ではなく「ガラガラ」と鳴くひょうきんぶりで、人を呼び込み福を招いたとか。

 そんなガラスケは、大好物のレンコンを首からぶら下げています。このレンコンは門真市の特産品になっています。

 「門真レンコン」は、あまり市場に流通しない事もあって、幻のレンコンと言われています。近畿農政局でも「門真レンコンを次の世代へ」とのタイトルで、取り上げられています。

 特産物と言われるだけあって、門真にはレンコンをモチーフにしたお菓子等もたくさんあります!

京阪本線古川橋駅から南(門真運転免許試験場に向かう方向)に歩いて3分の所に「和洋菓子 松屋」さんがあります。( http://www.eonet.ne.jp/~hasune/

お邪魔した日は、残念ながら定休日でした(;^_^A

洋菓子のフロランタンも最中になっています!!

こちらは、洋菓子店「パティスリーエルブランシュ」さん ( http://in-works.sakura.ne.jp/site/c_west/aileblanche/index.cgi )

先ほどの松屋さんは古川橋の南側エリアでしたが、こちらの「パティスリーエルブランシュ」さんは、古川橋駅より北側のエリアになります。

駅の南側(イオン古川橋がある方)から駅を撮影しています。この下を超えて反対側(北側)に出て頂くと古川橋交番があります。

交番を越えて少し左寄りに、古川橋本通り商店街がありまので、真っ直ぐ真っ直ぐ進んで頂くと5差路に出ます。その角にお店はあります。

営業されていましたので、お邪魔してきました(^^)

見つけました!「蓮根(はすね)ロール」

ボリューム満点の1本丸々の他にカットされた蓮根ロールも販売しています。

そして他のケーキも美味しそうです!

が、ここは初志貫徹で蓮根ロールを購入させていただきました!

それに蓮根ロールはレンコンの収穫期間(10月~3月)だけ発売されているとの事でした。

写真ではわかりにくいかも知れませんが、結構大きいです。

家で量ってみたら何と400グラム!ズッシリしています。

生地は和テイストでほんのり薄茶がかっていました。

生クリームは甘すぎずさっぱりとしていて、とても食べやすく上品なクリームでした。

中には刻んだレンコンが入っていてツブツブ食感がアクセントになっていい感じでした。

そして他にも、門真レンコンのパウダー入りのれんこんパイやハスの実パイ等もありました。

こちらのエルブランシュさんは、お店の中でもくつろげるようです。

お店の中に挿し込む光が暖かです。

日常の喧騒から離れて、たまにはゆっくりするのもいいですね。

店内の写真等に関しましては、お店の人に了承を得た上でアップさせていただいております。

かどま元気バル」には、他にもレンコンを使ったスイーツ等が掲載されています!

https://www.city.kadoma.osaka.jp/material/files/group/14/pamphlet.pdf

お菓子等の食品以外にも、なんと!レンコンの焼酎を見つけました!

木村酒店HP より

https://www.kimura-sake.com/

門真市では、レンコンを使った「おやつレシピ」も公開しています。

https://www.city.kadoma.osaka.jp/soshiki/shiminbunkabu/6/3/6/2476.html

 このおやつレシピは門真市と大阪樟蔭女子大学さんの連携事業なんですね!

レンコンの他にも「くわい」も使用されているようです。くわいはお正月以外、見かける事もなかなかありませんが、レンコンなら今ちょうど収穫時期(10月~3月)ですし、一度試してみたいですね!

レンコンは火が通ると風味や歯ごたえがすごく変化する野菜なので、キッズ達は食べてビックリ!もしかしたら大人もレンコンと気付かないかも!

 門真市は低湿地帯なので、昔からレンコン栽培が行われてきました(三ツ島、打越、稗島、桑才、一番等が有名)。土地が低い事から水はけが悪く、稲作には不向きな土地でしたが、蓮や葦と言った類は自生していました。この葦などが低湿地帯で堆積する事で、泥炭性埴土と呼ばれる栄養価の高い土壌が出来上がります。これが美味しい蓮根になる秘訣のようです。門真の蓮根について詳しく書かれた本があります。

「門真の蓮根ヒストリー」

 春日大社とご縁があるとか、昔朝廷に献納されていたとか、門真レンコンのすごい歴史に出会えるかも知れませんよ!

 弊社がある所から少し東に行くと今でも蓮畑があります。「昔に比べると少なくなったな」とは感じていましたが、レンコン農家が少なくなったきっかけが高度成長期と関係があったとは驚きました!車の歴史を語る時「高度成長期」は鍵となる言葉です。ですが、まさかレンコンに?

 高度成長期、部品工場が増え、また宅地開発により人口も増えました。昭和40年には何と「人口増加率日本一」になる程でした。

門真市HP より

 それにより、蓮畑が埋め立てられて団地や学校が建設されました。1,000,000平方メートルあった蓮畑も昭和44年(1970年)には446,000平方メートルまで減少し、現在では50,000平方メートルを下回っています。

 昭和5年(1930年)には、河内蓮根出荷組合があり、運搬用の車まで持っていた程の盛況ぶりで、その歴史は古く、先人たちが奮闘し品種改良等を重ねて守り抜いて今に至る蓮根です。現在はレンコンの新しい魅力が掘り起こされているのかも知れません。レンコンだけに!