2代目プリウス(2003年~2011年)

●売れる車へ

 フルモデルチェンジした2代目プリウスは2003年に登場します。電池は初代同様ニッケル・水素充電池、ユニットはTHS(トヨタハイブリッドシステム)の進化版であるTHS-Ⅱを搭載。パワーアップに成功しつつ、燃費性能は35.5km/ℓにまで向上しました。

項目 THSⅡ(新型車)THS(従来型車)
エンジン最高出力 (kW[PS]/rpm)57[77]/5,00053[72]/4,500
最大トルク (N・m[kg・m]/rpm)115[11.7]/4,200
モーター最高出力 (kW[PS]/rpm)50[68]/1,200~1,54033[45]/1,040~5,600
最大トルク (N・m[kg・m]/rpm)400[40.8]/0~1,200350[35.7]/0~400
システム最高出力 (kW[PS]/車速km/h)82[111]85以上74[101]120以上
85km出力 (kW[PS])82[111]65[88]
最大トルク (N・m[kg・m]/車速km/h))478[48.7]/22以下421[42.9]/11以下
22km/hトルク (N・m[kg・m])478[48.7378[38.5]

トヨタ自動車HP 参照

 初代のプリウスは、従来(のガソリンエンジン)の倍の燃費というのも惹句の一つでしたが、車の常識では、低燃費とパワーは二律背反の関係にあります。エンジンの排気量を下げて軽量化を図れば自然と燃費は良くなりますが、排気量が下がった分だけパワーは落ちる事になります。またその逆も然りです。しかし、2代目プリウスの開発者に下知されていた事は、「プリウスを売れる商品にする事」でした。

 初代プリウスの役目は、「トヨタが考える環境問題を具現化した車」であり、新時代を担う新しい価値を持った車としての存在でした。当時プリウスを買う人は特別な人であり、環境問題に特に関心を寄せる一部の人の車でした。ところが、「プリウスを売れる車に」という事は、特別な車から大衆車として、多くの人に受け入れられ購入してもらう必要があります。

 では、初代プリウスの売れない理由をトヨタ自動車の開発者たちはどの様に受け止めていたのでしょうか。トヨタ自動車の技術誌「トヨタ・テクニカル・レビュー(2005年8月)」にこんな一文があります。「いくらCO2排出量が少なく、排気がクリーンであっても、走行性能や航続距離、使い勝手で今の車に劣り、我慢を強いるようでは、またその価格が今の車の価格を大幅に上回るようでは、その普及はおぼつかない。」すなわち初代プリウスは商品としてお客様を満足させるものではないと判断していたのです。それは、次のプリウスは「エコ=環境性能」と「パワー=Fun to  Drive」の両方で進化する必要があるという事を示唆していました。

 当時入院していた豊田英二名誉顧問は、見舞いに訪れた張社長(当時)に「次は黒だよ」と言います。その言葉が、2代目プリウスの開発責任者を務めた井上チーフエンジニアに「商品としてまとめろ」という言葉になって下知されます。当然技術陣たちもその事は承知していました。次は「売れるプリウス」として販売台数に繋げなければならないというプレッシャーの中、開発は加速されていきます。そして生まれたのが「THSⅡ」だったのです。

 エンジン、モーター、バッテリー等の品質を改良した事により加速性能を向上させる事に成功。そして時速55km以下の走行時にエンジンを停止し、モーターのみで駆動させる事が可能な「EVモード」が追加された事で燃費を大きく向上させる事にも成功しました。このEVモードは今までの車にはないプリウスだけの特長でした。そしてプロジェクトメンバーはあるテストを繰り返していたのです。それは「速度記録」へのチャレンジでした。「ランドスピードプリウス」と名付けられた特別仕立てのプリウスをアメリカのユタ州ボンネビル・ソルトフラットのコースで走らせ、2004年8月に、時速216.6キロを記録するまでに至りました。パワーが飛躍的に向上した事で、ハイブリッドの可能性は大きく広がりを見せます。そしてこれがハリアーハイブリッドとクルーガーハイブリッドとして発売される事になるのです。

 パワーアップした2代目プリウスですが、そのデザインは、「トライアングルモノフォルム」と名付けられた、滑らかで美しく、流れる様なフォルムの近未来を感じさせるデザインでした。「Fun To Drive」車が本来持つ走る楽しさを損なうことなく、それでいてゆとりのある室内空間の両立を実現しています。これらの技術やデザインが認められ、2代目プリウスはハイブリッド車としては初となる、北米カーオブザイヤーを2004年に受賞。翌年の2005年には欧州カーオブザイヤーを受賞しました。初代プリウスは6年間での販売台数は12万台でしたが、2代目プリウスは119万台と順調に売上台数を伸ばし、市場におけるハイブリッド車の地位を見事に確立したのです。

 グローバル日本北米欧州その他累計
1997年0.030.03---0.03
1998年1.761.76---1.80
1999年1.521.52---3.32
2000年1.901.250.580.07-5.23
2001年3.691.851.600.230.028.92
2002年4.132.002.030.080.0213.05
2003年5.332.722.490.090.0418.38
2004年13.476.875.590.810.1931.85
2005年23.495.8515.002.340.3155.35
2006年31.257.2419.763.600.6586.60
2007年42.948.2028.784.901.07129.54
2008年42.9710.4425.505.781.26172.51
2009年53.0125.1120.535.471.90225.52
2010年69.0239.2219.597.023.19294.54
2011年62.9031.6418.518.284.47357.44
2012年121.9167.8034.4710.698.95479.35
2013年127.9267.9135.8215.298.90607.27
2014年126.6068.4232.3617.188.65733.87
2015年120.4063.3228.2920.158.64854.28
2016年140.0667.7726.6228.5917.08994.34
2017年
(1月)
10.504.321.533.031.621004.85
合計-485.27319.04133.6066.95

単位:万台
トヨタ自動車HP 参照

●世界が認める価値 

 消費者がどんな車に価値を感じて選ぶかは、その時代によって変遷します。「走る・止まる・曲がる」という基本性能を追求した時代には、自動車レースが多く開催され、各メーカーはその車の基本性能や技術レベルの高さを競い合いました。

 次の段階になると、車は日常使うものとして「信頼性」が求められるようになりました。トヨタ自動車(日本車)が米国で人気を博したのは、この信頼性を勝ち得たからに他なりません。

 日本は戦後1949年にGHQが自動車の生産制限を解除して、いすゞ自動車がイギリスのヒルマンと、日産自動車が同じくイギリスのオースチンと、そして日野自動車がフランスのルノーと提携して欧米の技術を取り入れるところからスタートしました。そんな中、トヨタ自動車は1955年に純国産車を誕生させます。初代クラウンです。ですが、この時点では欧米との差は歴然でした。1960年代まではアメリカ車の優位性が当然の時代でした。

 日本の自動車が認められた背景には、アメリカ人の持つ気質も影響しています。大リーグなどを見てもよくわかりますが、結果を出した選手に対しては賛辞を惜しみません。自己の権利や意見もはっきりと表明する代わりに、相手の文化や個人の権利、能力、意見を認めるのがアメリカ人の気質です。そしていいモノはいい!初期故障が少なく耐久性に優れた信頼に値する車にアメリカの消費者は素直に反応し受け入れていきました。トヨタのみならず日産やホンダは、技術力に磨きをかけて、アメリカ市場で信頼も勝ち取っていったのです。

 余談になりますが、トヨタ自動車(日本の自動車メーカー)がアメリカ(海外)で信頼を勝ち得た理由として、忘れてはならない事、それは人を切らない経営です。「むやみに人を切ると品質が落ちる」「長期安定雇用が、トヨタが強いと言われる品質にも関係している。」と張社長(当時)も述べています。長期安定雇用を前提にした経営が「尊敬される企業」としてアメリカ人の信頼を勝ち得た理由の一つです。

 次に社会が求めたのは、「低公害」である事でした。車の普及に伴い排気ガスに含まれる一酸化炭素や炭化水素、窒素酸化物と言った有害物質が大気汚染に繋がり、如いては人体に影響を与え、喘息や気管支炎の原因になっている事、また酸性雨等による森林や農作物への悪影響も問題視されており、公害に対するアメリカ市民の目も厳しいものになっていました。これを受け、1970年にマスキー上院議員の提案によって大気浄化法改正法(通称マスキー法)が制定され排気ガスに関して明確な規定が付される事になりました。内容は、排気ガスのクリーン度を現状の十分の一にまで求めるもので、基準を達成出来なければ自動車の販売が認められない事からビッグ3(GM・クライスラー・フォード)の反発も相当でしたが、このマスキー法は一旦後退する事になります。原因は第4次中東戦争によるオイルショックでした。この間日本では1968年に「大気汚染防止法」が制定され、1971年には環境庁が発足し、公害に対して本格的に取り組み始めていました。「日本版マスキー法」と呼ばれた公害対策は、元祖マスキー法の目標値を完全達成するものとなり、世界一厳しい規制と呼ばれるようになりました。元々公害対策に前向きではなかった欧州にとってマスキー法が骨抜きなっていた事は喜ばしい事でしたが、日本では国民の声に応える形で公害防止規制が予定通り実施されました。各メーカーは大気汚染防止に適合する車の技術開発に奮闘、クリーンである事と低燃費である事、この両方を併せ持った技術の開発に成功し、日本車は世界で一番クリーンな車として高評価を得ていきます。この時点で日本の自動生産台数は世界第2位!輸出台数も100万台を超えていました。

 皆さんは、ポンピングブレーキという言葉をご存知でしょうか?ポンピングブレーキを知らなくてもABSはご存知かと思います。そう、アンチロックブレーキシステムの事です。ポンピングブレーキとは複数回に分けてブレーキを踏む事でタイヤにロックがかかる事を防ぎ、摩擦ロスを減らす運転技術の事ですが、今では技術の進歩によりほとんどの車にABSが装備された事で、このポンピングブレーキという運転技術は必要なくなっていきました。そうです、低公害・排ガス規制の次に社会が車に求めたものは「安全性」だったのです。他にも、エアバッグや駆動力を制御するTCS(トラクション・コントロール)や横すべりを防止するESC(エレクトリック・スタアビリティー・コントロール)等、技術の進歩で電子制御するシステムが確立され、高度な運転技術を有しなくても、安全性が確保されるようになりました。こうして安全技術は世界中に普及していきます。

 同じ頃、トヨタが車に追求したのが「快適性」でした。ノイズや震動等、搭乗者が不快と感じる原因を取り除き、また室内空間の居住性やシートの座り心地等の改善を重ね、快適性と静粛性を併せ持つラグジュアリーな車が1989年に誕生します。そうラグジュアリー=Luxury=レクサス(レクサス(LEXUS)です。レクサスの名前の由来はラグジュアリーと最先端テクノロジーを表す造語です。レクサスは北米で絶大な人気を得ました。車市場が成熟し、車は新たな付加価値を持つ時代に入ったのです。そしていよいよ時代がプリウスを生みます。

 基本性能→信頼性→低公害→安全性→快適性、車に見る変遷は、技術者たちの鎬を削る開発があればこそですが、ただそれだけではなく、機運の高まりが社会を動かすエネルギーとなり、これらの車を生み出してきたと言っても過言ではありません。そして1990年に入ると地球環境問題対策が大きく取り沙汰されるようになります。自動車のガソリン燃料から排出される二酸化炭素が地球の平均気温を上昇させていると言われはじめます。トヨタはいち早くエコプロジェクトとして「乗るヒトだけが嬉しいクルマじゃいけない。エゴからエコへ。あしたのためにいまやろう。」をスローガンにプリウスの開発に取り掛かります。プリウスは、未来の社会がいずれ直面するエネルギー問題や環境問題を乗り越える事が出来る車というビジョンから生まれた車なのです。今までの車は、社会の機運と共にありました。低公害に対応した車も安全性に対応した車も社会の機運と共に生まれました。

 プリウスが生まれた1997年に京都議定書が採択されましたが、アメリカが不参加方針を出す等、地球温暖化問題に対して世界の足並みはまだまだ揃わないのが現状でした。そんな中プリウスは誕生したのです。アトムは思ったでしょうか?「皆さんお先に」と。

●ヒットの理由「プリウスって何だ?」 

 2003年3月アカデミー賞の授賞式の映像の中にプリウスの姿がありました。授賞式に参加するハリウッドスターの多くが、レッドカーペットに降り立つ際に使用した車がプリウスだったのです。ジュリア・ロバーツ、キャメロン・ディアス、トム・ハンクス、レオナルド・ディカプリオ等錚々たる面々がプリウスと共にありました。そのシーンはTVやインターネット、新聞などで報じられ、プリウスは瞬く間に時の人ならぬ、時の車になりました。「プリウスって何だ?」2代目プリウスが大ヒットを迎えるきっかけとなったのです。

 「カリフォルニアの住民は全米で最も汚染された空気を吸っている」と全米肺協会が発表する程、カリフォルニアは環境汚染が酷いと言われていました。山火事が多いのもその理由の一つです。そう言った背景もあり、ハリウッドスター(カリフォルニア内のビバリーヒルズ等に住んでいる)達にとって環境問題は身近なものだっただけでなく、彼らはプリウスに乗る事で「ユーモラスな感覚」を楽しんでいたのです。

 「ユーモラスな感覚」とは?初代プリウスは小さな車です。初代プリウスのスペックは以下の通りです。

グレードプリウス
車両型式HK-NHW10-AEEEB
重量(kg)1,240
全長(mm)4,275
全幅(mm)1,695
全高(mm)1,490
ホイールベース(mm)2,550
エンジン型式1NZ-FXE
エンジン種類水冷直列4気筒横置DOHC
排気量(cm³)1,496
最高出力kW/(PS)/r.pm-/58/4,000
    ※代表するグレードのスペックを表示
 ※エンジン最高出力はネット値
※型式は、NHW10(1500)

 全長4275mmというと、だいたいシエンタと同じくらいになります。全長4260mmミニバンの中では最も小さな車になります。

トヨタ自動車HP 参照

 では、このアメリカ人が乗るには小さなプリウスに乗る事の何が「ユーモラスな感覚」だったのでしょう?それはプリウスがエンジンと電気モーターで走る車なのに、見た目は取りたてて目立つ車でもない、というところに理由があります。先にも述べましたが、カリフォルニア市民は全米で最も汚染された空気を吸っていると言われる程環境汚染が進んだ都市ですが、環境汚染を受けとめかえていこうと努力している都市でもあったのです。まさかこんな小さくて見た目がプレーンな車にセレブが乗っているとは誰も思わないだろう。でもその小さくてプレーンな車は実はエンジンと電気モーターで走っていて環境にいい車なんだ。周囲の人たちは、小さくてプレーンな車に乗ってハンドルを握っているのがセレブである事に驚き、次にその車が未来志向的な車である事に驚くのです。セレブ達は自分達でトレンドを作るのが大好きです。プリウスは、セレブたちにとって環境問題に対する自己顕示と流行の先取りの両方を兼ね備えた車だったのです。

 プリウスが2代目になると海外市場を見据えてサイズも大きくなり、ボディスタイルも変更されました。洒落たデザインに刷新された事もあり、初代以上に注目を浴びます。アカデミー賞授賞式でその姿が放映された事をきっかけに、ニューヨークタイムズやウォールストリートジャーナルでもプリウスの記事が掲載され、一気に時の車となっていったのです。こうしてハイブリッドシステムは世界中に広がっていきました。

 環境問題が社会の機運として徐々に醸成されるようになり、自分たちのライフスタイルをどのように変えていくかという事が話題に上るようになりました。環境問題を考える時、プリウスはその象徴となっていったのです。アトムは思ったでしょうか?「もうすぐみんなに会えるね。」

●トヨタのDNA

 トヨタ自動車がプリウスを世に送り出すまで、そして大ヒット商品になるまで、多くの人の努力と幾重にも積み上げられた研究開発があった事は言う迄もなく、市場を作るパワーがトヨタにある事は疑う余地等ありません。ではトヨタ自動車はなぜこれらの事が成し得たのでしょう?

 現場(人)を大切にする、地域を大切にすると言った企業の社会的責任(CSR)や、トヨタ流○○と言われる生産方式等もよく取り沙汰されます。トヨタの強さの秘訣はきっと山の様にあると思われます。ただ世間で言われる様な企業活動だけがプリウスの生まれるベースだったのでしょうか?

 トヨタの創業者、豊田佐吉翁の遺訓にはこうあります。「研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし。」そして初代プリウスのチーフエンジニアである内山田氏はこう言っています。「先人の想いを初代プリウスの開発で少しは体現できた事が私の何よりの誇りであり、幸せでもあります。」と。創始者の想いはトヨタのDNAとなって会社の中に存在し、プリウスを生み出す核になったのではないでしょうか。