プリウスの歴史「21世紀に間に合いました」そして「REBORN」

●はじめに 

 プリウスは、1997年に世界初の量産ハイブリッド専用車として登場して、今年で25年を迎えます。ハイブリッド車の代名詞的存在として、その名の通りHEV車の先駆けとして時代をけん引してきました。

 プリウスがCMに登場した時、「21世紀に間に合いました」というキャッチコピーがとても印象的でした。そして「手塚治虫さま、あなたが空想したクルマです」というナレーションには、自然と21世紀をイメージさせる何かがありました。新しい時代がやってきた様な、それこそ手塚治虫が描いた世界がすぐそばまでやってきた様な、未来志向な車に世界中が注目しました。そんな世界をリードしてきたプリウスですが、プロジェクト名は「G21」。地球を意味するGLOBEの頭文字G、21は21世紀の事を指しています。

 プロジェクト「G21」がスタートしたのは1993年の事です。バブルが弾けた後、日本は長い経済停滞の時期に入ります。その頃、トヨタ自動車の当時の会長豊田英二氏が「21世紀に通用する車を」という指示を出した事がはじまりでした。

 1995年の東京モーターショーにおいて、プロトタイプの発表をしてから更に2年後、初代プリウスが発売されましたが、豊田英二氏が指示を出して発売までたった4年で世界初のハイブリッドシステムを完成させたことになります。今やトヨタを代表する車種となったプリウスですが、プリウス誕生まで、また誕生してから現在の4代目に至るまで、プリウスはどんな歴史をたどってきたのでしょうか。

●世界初のハイブリッド車「ポルシェ」

 プリウスが登場した時、ハイブリッド?よくわからないけど新しい方式なんだなと思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?ハイブリッドという言葉は「複合」や「組み合わせ」いいう意味を持ちます。他にも「異種のものの組み合わせ」と書いている辞書もあります。

 世界初の量産ハイブリッドカーとして、センセーショナルな登場をしたプリウスですが、実は、ハイブリッド方式の搭載に成功したのはドイツのフェルディナント・ポルシェ博士に遡ります。ご想像の通り、あのポルシェの創始者です。

 ポルシェ博士の発明したハイブリッドカーは1900年のパリ万博で大きな話題になりました。世界初のハイブリッドカー「Semper Vivus」です。2つのジェネレーターがそれぞれガソリンエンジンと組み合わさり、一つの充電装置を形成、同時にインホイールモーターを搭載する事で、発電専用のエンジンが電力を生み、バッテリーに電力を供給する「ガソリン&電気」のハイブリッドシステムの誕生でした。

 余談になりますが、トヨタ自動車にポルシェを寄贈した人がいます。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、今は亡き白洲次郎翁です。吉田茂の懐刀としてGHQとも互角に渡り合った比類なきジェントルマンです。自分で車を改造する程の車好きで知られていますが、車の開発に役立てる様にと愛車の「ポルシェ911」を寄贈します。そして完成した車が「二代目ソアラ」だそうです。ポルシェとトヨタ、何か目には見えない縁があるのかも知れません。